建築の歴史
大正末期から昭和初期にかけて戦前の豊かな時代に、他の港町と同様尾道でもハイカラな洋風建築が流行りました。尾道ガウディハウスは、そんな時代に、すぐ下の通り沿いで箱物製作・販売を手がけていた和泉茂三郎氏が、 1933年(昭和8年)に別宅として当時の高い技術や珍しい素材、新たな様式をふんだんに盛り込み、贅を尽くして建てた建物です。
鉄道開通後栄え始めていた尾道駅裏の斜面地にはこのような和洋折衷の擬洋風建築の建物が今も多く残されており、旧和泉家別邸もそのひとつで、わずか10坪の狭い建物の中にその時代の魅力が所狭しとちりばめられた洋館付き住宅となっています。
その後1980年頃まで親族関係者の住まいとして利用されていましたが、跡継ぎ不足から25年間空き家の状態となり、老朽化で解体の危機にありました。
アップダウンの多い坂の町に建てられた尾道の建物は、その自然の地形を生かし、陽当たりや風の流れ、そして窓からの眺めなどを考慮して、職人さんがひとつひとつ考え抜いて建てた唯一無二のものがほとんどです。その環境とそこに息づく文化が生み出した独特の立ち姿は、見るものを魅了し、数々の映像や作品におさめられてきました。この建物も尾道出身の大林宣彦監督の尾道三部作や最近ではアニメにも登場しています。
※通称ガウディハウスという名前は、以前よりそう呼ばれており、随所に見られる必要以上の装飾や日本建築にしては珍しい曲線の多様から来ていると考えられます。また現在ではスペインのザグラダファミリア教会のように「いつ完成するか分からない」という意味合いも含めての愛称となっています。